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Blogger:「サムネイル表示」写真を横に並べる

2014年5月30日金曜日


Bloggerで写真(画像)をアップすると、サムネイル表示になり、
大きさは大・中・小で選択できるので、1枚だけだと便利なんですが、
横に2枚並べたい時はどうしたら?
今まで横に並べた事がなかったので、気付きませんでしたが、
〔小〕サイズなら並べられるけど、微妙にズレてしまうんですね。

写真を横に並べるだけなら、
<img src="画像URL" alt="" border="0" /><img src="画像URL" alt="" border="0" />
や、テーブルタグを使えば良いんですが、
これだと「サムネイル表示」になりません。


      





これは上下共に同じ大きさに見えますが、上は見た目そのままです。
下は縮小画像で見せ、クリックすると写真が大きくなります。

こういう写真は、大きくして見なくても別に問題はないと思いますが、
他サイトさんを訪問すると「大きくした写真が見たい、この文字は何て書いてるの?」
とか、時々思う事ってありませんか?
大きくしないと、遠くの小さい建物が見えなかったりする事もありますよね。
かといって、バカデカイ写真をそのまんま載せるのも見栄えが悪い。

そこで、調べてみるとCSSで~とかはあったけど、私には難しいorz
で、私なりに解決しました。

まず、2枚並べたい画像をアップします。
すると、こんな感じに縦に表示されてしまいます。


これを横に並べるために、編集画面の「HTML」を開いて


該当のタグを見ます。



1枚目の画像</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">後ろに置き換えます。
そして、画像と画像の間<br />削除します。


次に、画像と画像の間<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
2枚目の画像</div>削除します。

Bloggerのテンプレートの種類によって違うと思うんですが、
私のテンプレートでは、これでもまだ縦になったままでしたのでサイズ調整します。



height="320" width="240"」を「height="310" width="230"」に変更。

heightとwidthのサイズは、テンプレートの種類、または好みで調整してくださいね。

これで2枚の写真を横に並べて「サムネイル表示」できました。






おすすめ! 「友ヶ島」へ行ってきました

2014年5月28日水曜日


2014.05.06(火)
友ヶ島は、かなり前に泳ぎに行ったような気がするけど記憶が薄い(´._.`)
今回は、砲台跡を見てみたくて行って来たので、忘れないように記録しておきます。


和歌山市北西加太沖にある友ヶ島は、観光客で賑わってると無人島とは思えないですね。
明治時代から終戦まで大阪湾を守る要衝で、旧陸軍により『由良要塞』の拠点として使用され、
大砲を島内のあちこちに備え、約600人の兵隊が駐屯する要塞だったそうです。

友ヶ島汽船の運行時刻表を確認すると、GWは臨時便もありました。
11時発に乗船できるよう余裕をもって出発したのに、バイパスで渋滞していて予定より遅く到着。
乗船場近くには駐車場もあり、料金は500円でした。
予定してた加太港11:00発は定員(120名)オーバーの為、追加の臨時便11:40発に乗船する事に。
混雑シーズンに行く時は、まずは切符売り場に行く事をお薦めします。
定員オーバーで乗れなかった人の為に予約券をくれて、これがあれば次発には必ず乗れます。
最初は、切符を購入する為にズラ~と行列してるのかと思ったら、乗船する為に並んでたので、
私のように知らずに並んでる人も居ましたから、混雑時は要注意です。

臨時便発まで時間に余裕があったので、淡島神社近くのお土産屋さんへ寄って、
昼食用のおにぎりを買っておきました。
気になってた天候も良好で、気温16℃という過ごしやすさでした。
運行時間は約20分程で『野奈浦桟橋』には12時頃到着。


友ヶ島は、神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島の総称で、散策できるのは沖の島だけのようです。
とりあえず地図を確認。

ハイキングモデルコースが2通りあるけど、灯台や展望台にも行きたかったので
「名所探訪コース」を選びました。


『野奈浦桟橋』から『池尻浜』方面へ歩いて行くと淡路島も見える。


この辺りで春セミが鳴いていました。
実は、つい最近のニュースで春セミの存在を知って、鳴き声を聴いたのは初めてです。

崖から海に向かって斜めになってる松が多く、何の支えもなく相当根強いのが分かります。
しばらく歩くと『友ヶ島第2砲台跡』が見えてきます。
かなり崩壊していて「危険・立入禁止」看板がありました。




第2砲台は、1898年(明治31年)4月に竣工され、形式は平射砲:27糎加農砲×4で
終戦時米軍による爆破で砲座は破壊されたそうです。



砲床には大砲を取付られてたのかボルトの跡が残ってます。



そこから灯台に向かって歩いて行くと、『日本標準時子午線』が通る広場があります。

『日本最南端の地』という事で、そこから撮影してみました。




この辺りは、鹿の糞らしきものがあったので、「トモガシカ」に会えるかな?と期待しつつ・・
人間様が居なくなった夜にしか出て来えへんやろ~と思ってたら、
帰宅後ネットで調べてたら、会えた人も居る事を知った。羨ましい!



その直ぐ近くには『友ヶ島灯台』があります。登る事は出来ませんでしたが、
毎年2回一般公開されているそうで、2014年は5月24日(土)に一般公開 されたようです。

『友ヶ島灯台』は、リチャード・ヘンリー・ブラントンというイギリス人が設計した洋式灯台で、
1870年(明治3年)4月に起工、1872年(明治5年)6月25日に竣工。
総工費は、当時の金額で22,964円(現在の金額にすると約3億円)で、
日本で8番目に建てられ、今も現役の灯台だそうです。


なんとなく四国村へ行った時の事を思い出しました。


2008年(平成 20年)経済産業省より「近代産業遺産群 続33」の認定を受けたプレートです。


友ヶ島灯台の直ぐ下のほうには『友ヶ島第1砲台跡』があります。

階段はロープが張られてここからは降りられませんでした。
『友ヶ島第1砲台』は、1889年(明治22年)9月に着工、1890年(明治23年)11月に竣工され、
この時に、『友ヶ島灯台』を当初の位置から東方へ25メートル移設させたそうです。
形式は平射砲:27糎加農砲×4だそうです。
紀伊水道や大阪湾内も射程内に収めていて、フランス・スナイドル社製の最新砲だそうです。
こちらは『友ヶ島第1砲台跡』の入り口のようですが、ここからも入れませんでした。

第2砲台跡も第1砲台跡も立入禁止になってるのは、事故防止の為だと思いますが
中が見られないのは、非常に残念ですね。


散策する道は殆どこんな感じの上り坂や下り坂です。

次は『孝助松海岸』です。

ここは潮だまりでやどかりや貝がいっぱい٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
友ヶ島の松はどれも『孝助松』と呼ぶらしいです。
名前の由来は、多数の漁師が遭難した中、親孝行の「孝助」だけが松によって助かったという
伝説があるらしい。
ここでお昼ご飯を食べようかと思ったけど、日陰がないので別の場所を探す事にしました。
しばらく歩くと『池尻キャンプ場』があったので、ここで昼食にしました。
第2砲台跡へ向かう途中、「冨士屋別館」のほうからも見えた『蛇ヶ池』は、ここからも見えました。

この井戸らしき跡の向こう側に見えるのが『蛇ヶ池』です。
今回は行かなかった『深蛇池』や、ここの『蛇ヶ池』も「蛇」という事でちょっと調べてみたら・・
「大蛇伝説」とかあったり、日光修験には「深沙大王」について、
「葛城の修験では、友ケ島に深蛇大王として祠り、修験有縁の霊神であり、
悪業の障を浄め菩提の妙果を授ける天部ともいわれ、一般の天部より高位の神とも称される」
と書かれてありました。

この池尻キャンプ場にも鹿の糞があったのに、鹿とは会えず残念!
写真の井戸の跡?とは別の場所に、ちゃんと水が出る井戸がありました。
そこに「イノシシにご注意」の看板が立ってたけど、ご注意しようがない(笑)
この広場から『友ヶ島灯台』が遙か遠くに見え、我ながらよく歩いて来れたな~と。

ご飯を食べた池尻広場は『友ヶ島防備衛所跡』だったようです。次に行く『聴音所』も記されてます。

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011197600、
「阪復」近畿地区施設一覧(附青図)(①-引渡目録-209)(防衛省防衛研究所)」より


次は、現在日本で唯一の『旧海軍聴音所跡』で、2002年(平成14年)に発見されたらしい。

海軍紀伊防備隊が、大阪湾に進入する敵潜水艦のスクリュー音を察知する施設だそうです。
うん、中に入ると船のエンジン音がよく聞こえたような気がする。
中は煉瓦造りで厨房らしきものやトイレもあって、窓からは地面が見えるという地下みたいな造り。
こういう貴重な遺跡に落書きするドアホが腹立たしい(`ェ´)ピャー
屋根の部分は草木がいっぱいでしたが、敵軍に見つからないように当時から植えてあったのか、
自然にそうなったのかは分かりませんが、公式に?発見される以前に存在を知ってた人なら、
現代の様相との違いとか、ここだけじゃなく色々知ってるんでしょうね。
もしかしたら、まだ何か公になってない施設があるかも?ですね。

ここから見える海です。




ここから見える『孝助松海岸』です。←もしかしたら展望台へ向かう道での撮影かも?


『タカノス山展望台』に向けて歩いて行くと、『小展望台』があったので寄ってみました。

小展望台から見える『神島』です。
神島は、淡嶋神社の起源と伝えられているそうです。

『タカノス山展望台』に行くつもりが、展望台への階段の左手前に『友ヶ島第3砲台跡』
見えたので、ちょっと寄ってみました。

正面と同じ階段が手前にもあって、そこから降りて行くところです。
この二つの砲座の周囲は煉瓦と盛土になってます。

なんか底なし沼みたい?


この左側がトンネルのようになってて、行ってみようとしたけど地面がぬかるんでたのと
薄暗かったので諦めました。(あとでここが繋がってる事を知る)


『タカノス山展望台』への階段は疲れた足にはキツイけど、四国、六甲、和泉葛城方面の山々が
眺望できるかも?らしいので、がんばりました٩(ˊᗜˋ*)و
はるか遠くに灯台が見えました。




ツツジがきれいに咲いてて、桜の木には小さなサクランボが実ってました。

この辺りにも鹿の糞が(笑) 糞より鹿に会いたいんですけど(,,> <,,)♡
『タカノス山展望台』というのは、パンフレットに書いてた名前なんですが、


ネットでは、みんな『コウノ巣山展望台』と書いてます。
和歌山市加太観光協会のサイトにも『コウノ巣山』と書いてますね。

「コウノ」と「タカノ」は漢字にすると「孝野」「孝ノ」とかで、もしかしたら読み方の違い?
と思って調べてみたけど、漢字の表記は見当たりませんでした。
「コウノトリ」伝説があるようなので「コウノトリの巣」が由来かもしれないし、
もしかしたら「鷹ノ巣」が由来かも?

でも、公的機関の和歌山市のホームページにも『タカノス山展望台』と書かれてます。

と、書きつつ、どうしても知りたくて和歌山市観光課に問い合わせてみました。
明治時代ぐらい(定かではない)の資料では「鷹ノ巣」と漢字で書いてある資料があるらしいので、
『タカノス山展望台』という名称にしているとの事でしたが、
『コウノ巣山』と書かれている資料もあるらしく、『コウノス』から『タカノス』になった可能性も。
更に調べていただいたんですが、昭和24年の本に『鶻』という文字が出ているだけで、
結果的には「正式には分からない」でした。
『鶻』の「こつ」が「こう」になって「コウノス」になったのかもとも仰ってましたが、
そもそもどちらが正しいか以前に『コウノス』も『タカノス』も間違いかもしれず、
本当の名前が別にある可能性があるかもしれないという事で、
和歌山市が『タカノス山展望台』という名称にした経緯も分からないそうです。
ただ、昭和の時代に変更したとかではなく、明治時代ぐらいからの名称なので、
和歌山市としては、今後も『タカノス山展望台』という名称を使っていくと仰ってました。
とても親切な職員さんで、色々お話出来て良かったです。
「鷹」にしろ、「鶻」にしろ、「鳥」が関係している可能性は高そうですね。
という事で、私も『タカノス山』と表記する事にしました。

この展望台から見えた景色ですが、四国、六甲は見えません?見えても分からんw






展望台から灯台も遠くに見えて、めちゃ歩いてきたー!のが分かります(๑و•̀Δ•́)و



さっきの『友ヶ島第3砲台跡』はトンネルで繋がってた事が『第3砲台跡概略図』を見て分かった!

さっき降りて行ったのは、この一番右側の砲座だったんですね。
どの砲台跡もこんなふうに詳しく書いてくれてたら良かったのにな~
この『友ヶ島第3砲台』は、1890年(明治23年)着工、1892年(明治25年)竣工、
砲座は、4つの区間に各2砲座で計8砲座(1砲座の直径3.5m)、
大きさは横幅180m、奥行60mと書いてます。

こんなに大きな施設をこの時代に、たった二年で完成させたのは凄いです。
煉瓦とか運ぶだけでも大変ですし、歩くだけでもやっとこさの私には想像を絶っします。
中は真っ暗闇で、懐中電灯がないと何も見えません.!

携帯電話の明かりでなんとか歩ける程度です。

真っ昼間でも一人で入るのは根性要りますw
でも、お化け怖い私ですが、そういう気配は全く感じません(多分、出るのは虫ぐらい?)
平日の観光客が少ない、しかも雨とか降ってたら..・ヾ(。>д<)ッ こえぇぇぇ





中から外に向けての撮影です。



中は広いですが、もうどこに自分が居るのか、さっぱり分かりまへん(´._.`)

この『友ヶ島第3砲台跡』は、見る価値ありです!私が一番感動したところです。
勿論、どの施設も素晴らしいですが、100年以上も前にこんな大規模な煉瓦の地下施設を
どうやって完成させたのかとか、当時の様子を色々想像してしまいます。
(帰宅後も色々と妄想しまくりでした)

ここは弾薬庫跡で、天井の煉瓦の隙間から日が差してたので、左奥側だけで少し明るかった。




暗いのは不気味な感じですが、とても神秘的で不思議な空間です。










次は、『発電所跡』『将校宿舎跡』がありました。
先ほどの『第3砲台跡概略図』には、『将校宿舎跡』ではなく『監守衛舎跡』と書いてました。
将校宿舎跡の中は、かなりボロボロでしたが台所や床の間まであって、
さすが将校宿舎って感じでした。
「当時の将校達の憩いの場だった」と書いてました。
こういうところも四国村を思い出します。

『野奈浦桟橋』まで0.6kmの標識で、あともうちょっとやー♪という嬉しい気持ちと
第5砲台跡にも行きたかったな~とか、全部回れないのは残念でした。
あれっ?第4砲台跡も行ってなかったみたい。
野奈浦桟橋へ戻る途中で、防空壕かな?と思うような穴が幾つかありました。
割と大きめの穴で暗くて何も見えませんが、懐中電灯を持ってても見る勇気はありまへんw

山の各所にあった石造りの四角い貯水槽のようなものは何なんでしょう?
トイレとかネットでは書いてましたが、それにしては数が多すぎるやろと・・・(≧∇≦)



野奈浦桟橋前の広場に戻ってきたのは、15時半ぐらいかな。
最終の16:30発に乗船する予定でしたが、16時過ぎの臨時便は満員御礼で、
16:40出港予定の予約券を貰い、のんびりオヤツを食べながら待ちました。
友ヶ島のトイレは、有り難い事に水洗トイレになってますが、流す水は真っ茶色!
下水処理施設がないので、杉チップ型バイオトイレを採用しているからだそうです。



友ヶ島をあとに・・・加太に向けて出発です。


加太港に近づくと、たくさんの人たちが釣りを楽しんでいました。釣りもしたかったな~٩(ˊᗜˋ*)و

17時頃加太港着
淡島神社のお土産屋さんではニャンコがお出迎え∧_∧
「魚市商店」さんでお土産を買ったんですが、ここで販売してる『友ヶ島海苔』は、
ここから少し離れた「友ヶ島海苔店」さんで製造しているそうで、
昨年11月に「えみちゃんねる」で取り上げられたらしく、
それ以来遠方からもお客さんが来るぐらい人気なんやと店のオッチャンが言ってました。
早速、帰りの車の中で食べました~( ˆωˆ )
口が切れそうなぐらいパリパリで、ほんとに美味しかったですよ!

価格:1,728円
(2014/5/26 17:49時点)



私が今回目安にした「名所探訪コース」は、3.3kmとなってましたが、
万歩計(携帯の)は1万歩を軽く超えて、9kmぐらい歩いてる記録になってました。
目的地に着いても、そこから次の目的地が続いてるのではなく、
一旦戻って次の目的地へ行く事が多いのと、坂道が多くて上りはキツかったです。
野奈浦桟橋前広場まで帰る途中の下り坂では足がつって痛かったorz
でも、気温もちょうど良かったので、汗びっしょりにもならずラッキーでしたが、
これ真夏とかになると(ヾノ・ω・`)ムリムリ

鹿やリスにも会いたかったなぁ~
蓑虫?が木からぶら下がってる所がいっぱいあるせいか、
木の枝を持って歩いてる人を結構見かけましたが、まさか払い落としてないでしょうね?
杖にしてるというよりは、ただ持ってるという感じでしたが・・・。
山にお邪魔してるのは人間のほうなので、人間が避けて歩けば良いんです(`・ω・´)

一応、下調べはやったつもりでしたが、もっと具体的に検索しとけば良かったとか、
写真は携帯で撮影しましたが、デジカメを持って行けば良かったとか、
もっと撮影すれば良かったとか、ちゃんと行った順番とか色々メモもしとけば良かったとか、
もう色んな後悔もしつつ、まだ余韻に浸ってます。
加太は子供の頃から何度も行ってるんですが、友ヶ島がこんなに素晴らしい島だったとは!
是非、一度行ってみてくださいね☆

出来れば季候の良い時に、履き慣れた運動靴で、懐中電灯もお忘れなく!


今回、私が行ったところを地図に記入してみました。



※以下、とても詳細なレポートがあったのでリンクさせていただきました。

『海軍聴音所跡探索メモ』
2002年9月に開催された「戦時の友ヶ島を語る会」で当時の様子が記されています。
画像がリンク切れになっているのは残念でした。

SOCK PUPPETさんのサイト『寄る辺ない旅』
きれいな写真がたくさんあり、昼食を食べた池尻広場も撮影されていたので参考になりました。

由良要塞
砲台の断面図なども記されてあり、かなり詳細なレポートなので必見です。